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Jan 31 2012
スーパーゼウス、シャーマンカーン、ヘッドロココなど人気キャラクターシールがウリのビックリマンチョコが復刻するのだ。独特の二頭身キャラはそのままに「ビックリマン伝説」として84円で2月21日に復刻する。しかし当時は30円で販売されていた物が、そのままの復刻で84円と倍以上の値段になり皆が「高い」と不満の声を挙げている。

時代の流れと物価の高騰により84円にしたのだろうか? 実はここには80円以上にせざるを無い理由があったのだ。今回はそんな理由について少しだけ真面目に書いていきたい。

ビックリマンチョコは2005年に首都圏限定で復刻しており、そのときの値段も84円。しかし同年に景品表示法が改定され、ビックリマンのような中身が見えずどのようなシールがでるかわからない物は「懸賞品」扱いになる。また、懸賞品の場合は価格の2%以下にしなければ行けないとの決まりも設けられた。そうなれば自然とシールのコストを下げるか、ビックリマンチョコそのものの値段を上げるしか選択肢がなくなってくるのだ。中身が丸見えのビックリマンチョコを販売し「懸賞品」扱いから逃れるという手もあったのだが、当時の感動は得られないだろう。

しかし、当時30円で販売されていた物を84円で売られると、この景品表示法のことを知らない人はただの値上げと思ってしまう。そりゃ消費者からしたら何の説明もないので、納得のいかないただの値上げに思えても仕方無いだろう。「30円で元が取れていた物を84円で売られてもねえ」という気分も分からなくはない。
ビックリマンが「景品表示法」の被害(?)にあったのはこの件だけでなく、別件でも指摘を受けていたのだ。それは中身の分からない商品に対してキラキラシール(いわゆるヘッド)が出にくいという指摘だ。「ヘッドシールの質を下げて、ほかのシールと出る確率を同じにしろ」と命令が下りビックリマン後期はグダグダ状態に。

無理してお菓子と一緒にしなくてもいいじゃんって思う人もいるかもしれないが、お菓子と一緒じゃないとスーパーにおいて貰えない弊害も出てくる。結局値上げは苦肉の策だったのだ。

Jan 15 2012

あくまで私の観測範囲内での話なのですが…
ギャルでtumblrを使っている方が増えはじめたような気がします。

2011年春ころに人口増が起きた気がします。読者モデルなど当該分野の著名人がはじめた、などの事情があるのでしょうか(ご存知の方がいたら、ご教示下さい。)。

そのうち、雑誌「小悪魔ageha」がTumblr特集を組む、なんてことも、ありえるかもしれません。
tumblrの設計思想( http://j.ktamura.com/archives/1489 などを参照)からすれば、アドオン等を駆使して秒速でリブログするギークよりも、「正統な」利用者なのかもしれません。


参考リンク
http://pantabolus.tumblr.com/ http://farawayorbit.tumblr.com/ http://boredatw0rk.tumblr.com/ http://wagamamaboy.tumblr.com/ http://okashiyummy.tumblr.com/ http://hellyeahikemen.tumblr.com/ http://ouranliveaction.tumblr.com/ http://kami-mika-kaze.tumblr.com/ http://fuckyeah-gals.tumblr.com/ http://shibuya-109.tumblr.com/ http://kawaiikuma.tumblr.com/ http://sleeteve.tumblr.com/ http://emi-sama.tumblr.com/ http://gyarucouture.tumblr.com/ http://chogyaru.tumblr.com/ http://doresencute.tumblr.com/ http://lightpinkdreams.tumblr.com/ http://gyarulife.tumblr.com/ http://sakochi.tumblr.com/ http://chouzuru.tumblr.com/ http://littlegyaruthings.tumblr.com/ http://gorogoroiu.tumblr.com/ http://osharejapan.tumblr.com/ http://projectgyaru.tumblr.com/ http://gyaruallover.tumblr.com/

— (via inf)

656 notes

Jan 08 2012
岩井 そうですね。
僕の場合、ハンディカメラが
多いんですけど、最大の理由は、
「レールを敷いていると
 時間がいくらあっても終わらないから」
です。
糸井 レールを敷いたほうが、
いいものが撮れるようなときも、
そうするんだ。
岩井 「じゃ、担いで撮ってくれ」
「ああ、オーケー」というかんじで、
撮って終わり。
ひとつひとつ、ものすごい完成形で
やっているのではないですね。
CMとかを撮ると、
みんな、何てちっちゃいところまで
見るんだ、といって驚くことがあります。
糸井 あるね。
それを売り物にしはじめちゃったりすると、
病気になりますね。
見えやすい小仕掛けを
「見てくれ、見てくれ」と
いっている画面って、うるさいですよね。
岩井 そうなんですよ。
うちのカメラマンが
よく言ってるんですけど、
見ててしんどい映画って、
構図にこだわっていて、
2人がしゃべっているところに
でかい赤いちょうちんが
どーんとあったりする。
それは、一枚の写真として見たら
すごいのかもしれないですけど、
それを映画のなかでやられると、
集中できないんです。
糸井 あるねえ。
そんなことよりは、
その場の雰囲気を和らげる
キャスティングを
どうするかとか、
そっちを考えたほうがいいですね。
岩井 そうなんです。

Jan 07 2012
Dec 28 2011
+
akirakuroda:

inkwings:

mi

普段はこういうスタイルはあんまり好きじゃないけど、これは何かすごく好きだ。

akirakuroda:

inkwings:

mi

普段はこういうスタイルはあんまり好きじゃないけど、これは何かすごく好きだ。

258 notes

Nov 25 2011
人間は間違えない。 ”


外に開くドアは、ノブをプレートにすれば、


ドアを引っ張ってしまうんだ。

外に開くドアに、ノブが付いているから人間は

ドン・ノーマンは言いました。

“148 名前: ウォッチングTVマン 投稿日: 2001/05/21(月) 02:18

マックもツーボタンマウスが標準に!?


これを感じたCoCo’sのトイレ

押し開けるドアにはプレートを;
引き開けるドアにはノブを;
横にスライドさせて開けるドアにはくぼみを

(via plasticdreams) 2007-10-06 (via gkojay, plasticdreams) 2009-06-17 (via gkojay) (via fialux) 「誰のためのデザイン」だったかな。 (via tatsukii)

137 notes

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Nov 24 2011

経験は上書き保存だ。経験を経たものはみな、「いろんなことをどんどん経験せよ」という。「無垢だった昔の自分」と「経験をつんだ今の自分」のどちらをも手にいれたかのように誇らしげに言う。けれど、それはうそだ。それが本当なら子供の無垢な絵や言葉がもてはやされるわけがない。結局彼らは無垢な自分を犠牲にして、今の自分を得ている。経験は上書き保存であり、経験する以前の自分を手に入れることはできない。得るばかりで何も失わないなんて言う、そんなうまい話があるわけないんだ。

そんなことからも目をそらして、経験を賛美する人たちは、自分が得たことには敏感だが、結局失ったものに対して鈍感なのだろう。私は、別に経験することが悪いとは思わない。いいとも思わない。そんな黒か白かみたいにはっきり評価できちゃうものなんてどこにもないって思っているんだ。

   

ガラスの仮面を君は読んだことがあるか。

女優を目指す主人公の永遠のライバルとして登場する姫川亜弓は努力の人である。恵まれた家と、そして美貌を手にしていながら、それに頼らず、そしてなによりも、圧倒的な天才である主人公に勝つために、努力をし続ける人だった。彼女は過去に演技について「恋愛を知らないから恋愛の演技ができない」と言われたことがある。もちろんそれならば一度恋をしてみよう、と思うのが普通の考え方だろう。けれど、彼女は周囲にいた適当な男性に声をかけ、自分はまーったく彼に興味はなかったが、自分に恋をさせたのだ。そして自分に恋している男性の様子を観察し、それを演技に取り入れた。彼女は経験ではなく観察を選んだ。

恋愛をしている人間はどこにでもいる、物語にも何度だって出てくるし、観察する対象には困らない。けれど、もしも姫川亜弓が自分で恋をしたなら、「演技だけをやりつづけ、ほとんど趣味や恋愛に時間を費やさない若手女優」というキャラクターはそこで失われてしまう。そして、そんなキャラクターを再び手に入れるためにはいったいどこのだれを観察すればいいのだろう? 彼女は「演技に生きる若手女優」というキャラクターを保持したまま、観察することで「恋をする人」というキャラクターを手に入れたのだ。

     

経験は、成長は、いつだってすばらしいだろうか。成長の中には、衰退も、老いも含まれている。生まれてから死ぬまですべては成長だ。つまり死に近づくことも、きみのつやつやな肌が、死体みたいになるその過程も「成長」という言葉でくくられるのだ。さて、成長はいつだってすばらしいだろうか。すばらしいと思うか? 

成長という概念に盲目的ではいけないし、人は変わらなければいけないとどうしても思ってしまうが、変わってしまった後で元に戻ることができない、不可逆的な成長は山ほどあるんだってことを、忘れてはいけない。経験がすべてなら、人間はだれしも死ぬ前が最高であるはずだ。けれど、子供の言葉や絵は魅力的だ。どうしてだろうね。どうしてだろう。結局、成長っていうのは、選択肢にずっと「YES」で答えていくようなものだ。あなたは肌を劣化させますか?という問いにまで、YESと言っている状態に過ぎない。NOだって選べるんだってことを知らずに、YESと言い続けることは、まちがいじゃないのかな。まあ、まちがいかどうかは私にはわからないけれど、とにかく、第三者的に見ても、すっごく間抜けなことだよね。なんでもかんでも成長したら、経験したらいいっていうのは、まぬけだよ。得ることは簡単だ、失ったものを取り戻すことに比べたらね。

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